自省録 ~統合失調症の治し方~

統合失調症と闘う一人の男の自省録。

5月30日(後期授業開始まであと113日)

 だいぶ調子が良いので、ここで大学受験のことを軽く内省してみようと思う。

まず、自己顕示欲という言葉が思い浮かぶ。

特待生で入学するとなって浮かれていた自分が、鮮烈な高校デビューを果たそうと嫌いな勉強に傾倒した記憶はある。

取り柄は勉強ができることだけ、スポーツは苦手、好きなのはゲームだけという自分にとっての唯一の選択肢だったように思える。

絶賛ヒキニートだった兄の存在も影響しているだろう(当時勉強を散々邪魔されたのを思い出すと今でもムカつく)。

転機が訪れたのは2年生の夏ごろ。

統合失調症の前駆期だったのかもしれないが、勉強する意欲が急激に落ちた。

勉強する意味が分からなくなった。なんで勉強するのか分からなくなった。

相談した川越の父(占い師)に、「いい加減でいいんだよ」と言われたのもあってか、あまり勉強せず悩み続けた。

自分は社会で役に立てないのではないかとか、勉強しかできない人間だとバカにされるのが嫌だとか、いろいろ考えた。

その末、思いついたのが、「勉強を好きになればいい」ということだった。

勉強が好きっていうだけで特別な人間になれる気がしたし。

そう、きっと特別な人間になりたかったのだ、私は。

今もそれは変わらないのかもしれない。

でも理想は、「自分はこうありたい」という執着を捨て去れることではないか。

ともかく結果として予期せず私は受験に失敗し、鬼の首を取ったような顔の兄にここぞとばかりに集中砲火され(要するにバカにされ)、心に深い傷を負い絶望することとなった。

自業自得なのだろうか。いや、違うと信じたい。

私はただ、自分は他のみんなとは違うと思いたかったのだ。

 

だがそれはあまり良いこととは言えないだろう。

なぜならそれは、今の自分を認められないということであり、それ故に傷つきながら生きなければならないということであるからだ。

これからは誰かにとってではなく、自分にとって特別な人間という自分になりたい。

自分をもっと好きになりたい。

無為自然という言葉を大事にして生きていきたい。

どんなときも、心を静かにして生きていたい。

…ありゃ、これもまた欲望という名の煩悩なのだろうか。

 

最近キーボードを打つことにすっかり苦手意識を感じるようになった。

無理やりタイピングの練習をするうちに植え付けられてしまったのだろうか。

でも本当は気にする必要などないのだ。

速さよりも正確さのほうが大事だと思うので、一歩一歩、「実害はないのだから」とのんびりやっていこう。